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2017年のお神籤



この年は般若心経換算で5850巻唱えた。職場ではいい人と巡り合えたしいい一年だったと思う。職場では問題のある善人がいて被害に遭ったけど、それが気にならないほど楽しい同僚がいた。お御籤的にも13回中7回が大吉(53.8%)。
ただ8月にドラクエⅩを始めてしまい、その後はあまりお経・祝詞を唱えなくなってしまった。。お御籤も引いてない…多分神社仏閣にも行ってない…
でも今になって想うに、過去の積み重ねがあったから、あの世界で知り合った現在まで続く深いご縁が出来たのだと思う。おみくじも徐々に良くなってきた。内向型の人はオンラインゲームをやってみるといいと思う。とくにドラクエⅩはサイコパスが少なそうな作風。やさしいせかい。しょこたんもやっている。そのしょこたんのYoutubeにうちのチムメンが登場するというおもしろい出来事も最近あった。ありがとうございます。





知鯉鮒大明神



2017-2-5





熱田神宮


2017-2-19

「水晶の神鏡の様に心情く正直であれば恩恵があり願望叶う。但し、心に不義不正の欲心あれば災来る。縁の下の力持ちを心がけよ。」















知立図書館に置いてあった本
処分する予定の本のようで「無料」











岩津天満宮


2017-2-26

「あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな」








熱田神宮



2017-4-9

「あせればあせる程苦しみ多し。騒げば騒ぐ程損が加わり災を招く。心静かに構えて身を守るべし。禍福はあざなえる縄のごとし。」
この日は最後まで迷って出かけた。ネットで危険ゾーンの存在を知り、行ってみようかと思っていた。それを占うにおみくじ引きにきた。







同日

「奢り高ぶる心の中に災の種が潜む。先入観を持たず、広く平らな心で物事に臨まねば、後に損することあり。虚心坦懐に物事を進めよ。」
自分の美しさに自覚があったり賢さに奢り高ぶるやつなんて、そんなやつは、絶対にいやだ。特に性的な意味で。特に性的な意味で。これが一番正直。見下してもいけない。見下す奴なんて、タゲを見つけない限り、一生モテない。






大須観音


同日

「心に響くものあり探求心をもって掘り下げるに良い時。自分の力で運を開け。家で過ごす時間大切にうまく息抜きし疲労をためるな。」
結局この日曜日は、家でスピーカー(PIONEER S-HE10)を修理すればよかった。後悔。それから4か月経過するが、未だに修理できていない。タスクがどんどんたまる。あの日にやっておけばよかった。スピーカーを修理した時ほどの解放感はない。






笠寺観音


同日

「危険な橋を渡るような心配な事があり驚きと苦しみもありますが、あとはすべてなごやかに喜びがおとずれます。小さな事にも用心すればさらによくなりましょう」
ピッタリなことが書かれていた。努力して危険ゾーンには行かなかったから 大 吉 に戻ったのである。







熱田神宮



2017-4-29

またこれだ。
人生で一番多いおみくじ。
東京にいたころお世話になっていたプラーナ療法の山野先生に、「(僕の霊性を) 引き上げてもすぐに落ちる。なにか原因がある。」とよく言われていたけど、自分の性格に問題があるのか、先祖の因縁だろうか。なんて書いておいてわかってる。おそらくある種の指向性の問題。

この日はその指向性とは関係がない理由。

一畑山薬師寺の名古屋別院に行くときに寄ると、しょっちゅうこのおみくじが出ている気がする。あるモラハラ信者にガスライティングをされている。いろんな人にだんだんと 疑 い をもたれている。ガスライティングなんて第三者には見抜けない。でもそれによって人間は賢くなれるので前向きに捉える必要はあるが。

このおみくじの日はフラワーアレンジメントがあったが、この後二週間、鬱の症状で苦しむのであつた。何を拾ったんだろうな。



── 最も性質の悪い魔は善人の姿をしている ── 
今まで、もっともらしい噂を広められていたり 疑いをかけられていたり 根回しをされていたり 宗教的な意味付けでレッテルを貼られていた (それが 冤 罪 の場合は 徳 との相殺になるだろう) (「お徳」はお金と一緒ですぐに無くなる。我慢をすれば積み立てられるけど、普通は 罪 との相殺で使い果たしてしまう。考え方や行いが宗教や他者に肯定されていると修正が効かない。超法規的解釈をし、お徳を使って、一時的には気分が良い)。また保守的な視点での人物評価や (実物よりも良く評価する事はその人自身の精神修養になる。悪く評価すれば顔つきに出てくる)、徳を奪われたり、欠席裁判をされている事もよくある (神仏の意志にたいし 恣意的でも忠実ならよいが違えていたら埋め合わせは生じる。宗教団体が集団心理を使うことは諸刃で、徳を積むか罪を作るかのメーターは大きくブレる。また、師匠が言うには「神仏の名を騙ることは通常の罪より重い」とのこと。神仏のご意思であるかのように{またそう思い込んで}行われる勧誘・言伝・同調圧力も同罪だろう。宗教は拡大路線に走るとカルト化する。途中から都合の良い教えだけが残り身勝手な世界観が出来上がってゆく)。








岩津天満宮



5月7日
「こちふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」







犬山寂光院



5-28








「神様の 導きたまう 二人にて 今日の出会いを 大切にせん」
本当に、寂光院は久しぶりにきた。この恋のおみくじはあの子のことを好きだったとき以来で6年ぶりに引いた。

今は職場にかわいい女の子がいるのが幸せだ。その子はどちらかというとなんか男の子みたい。歩き方が男子高校生だし、車の乗り方が男(笑)(片手をハンドルの上に乗せて運転している。ダンディー(笑)。血色がいいし一重がすらっとしているし声が小さい(←頭のいい証拠)。
その子の友達が、よそ見していて、その子にぶつかり、目の前にいた僕にぶつかったと勘違いし、とっさに「ごめんなさい」と謝ったとき、ぶつかっていたのはその子だとわかった。
その子は一瞬おいて、

「今、謝って損したって顔しましたよね」

とその友達に突っ込み入れていた。ほんとうにいい子。







猿投神社



7月22日
猿投温泉は愛知県で一番良い温泉
語弊があったらごめんなさい

この神社ではこのおみくじばかりが出てくる
これでいったい何度目だ…3度目だ








知鯉鮒大明神


桃桜 花とりどりに 咲き出でて 風長閑なる 庭の面哉
7-31
茅の輪くぐりをやっていた

抱っこしている甥っ子に引いてもらったおみくじ
カウントしていいものかどうか


藤井聡太四段の連勝記録が始まる前、地元の八幡神社で引いたおみくじは『大吉』だった(NHKで見た)。自分の好きなことをすべしという言葉の内容。藤井聡太はそのとき兄の高校受験合格をお願いしたらしい。なんか印象に残った。











2017年夏
ホテイアオイが増殖しすぎた













【差別観の成り立ちについて】
「すっごい!、ひっさしぶりのご奉仕!」
2011年、僕が無職になってからは急にこんな態度に出るようになった人がいる。一畑に整膚というマッサージを施術しにきているハリーポッターのドローレス教授みたいな顔したおばさんW様。こちらは何も態度は変わっていない。ほとんど聞き手で何も話していない。
彼女は苦労をしていて素晴らしい経歴の持ち主だからか職業的な差別観が深い。僕が「独身」であることについては、彼女の娘がまだ結婚をしていないからか直接または婉曲的な差別は受けていないが、差別的な目付きでさり気なくわざとじっと見てくる。
偏見の目は診断にも表れる。行きつけのタイマッサージの方(おばの同級生)に僕は「今日は肩がこってる」と言われ、接骨院でも「肩がこってる」と言われ、美容院でも「コリがヤバい」「MAXで揉みましたよ」等と言われている(その自覚がある)。なのに整膚のドローレス様に聞いてみたら「全くこってないわよ…」(貴方は何も苦労をしていないのだから)と、いつものように馬鹿にした口調で言ってきた。偏見のない真面目な人は共通した認識を持つのに、偏見の目で人を判断する人は逸脱したことを言う。
2014年頃、整膚のそのドローレスは「私、気を流す事ができるの」と仰ってみえた。耳たぶをマッサージする時、ぶるぶると指を震わせているけどその時に「気」を流しているのだと思う。調子崩すから「気」を流す事は止めさせた方がいいと思う。奉仕に来るK様は「あの人のマッサージで体調を崩した」とか言っていたけど、整膚(皮膚のマッサージ)で体調を崩すわけがないので、あの人の気の影響だと思う。僕はK様のように謙虚な人間ではないのでその「気」を受けて殺気立ってきた。
街なかでやるのは問題ないと思う。お寺だと霊性に落差があるから体調崩すのだと思う。お薬師様のご祈祷を受けた後にその俗っぽい人間の気を受けたら急降下する。せっかく浄められたのに、変なものを受け取ってイライラとしたりする。自分はその後、再度本堂に行って浄めようとすると1時間ぐらいかかる。それをめんどくさがって帰宅してしまうと水曜日まではイラついている。自力がないからか? ひどいと一週間か二週間か続く。苦労自慢をする奴に限ってたいした霊性をしていない。自分のことを素晴らしく優越した人間だと思っている人は平気で他人に 気 を流す。自分のレゾンデートルを押し付けたり 人に気を流すのなら本堂に10分ぐらいお参りしてからにしてほしい。ドローレス様は仕事を終えたらいつもお参りとかはせずに帰っているから、お寺に来た時もお参りなどは一切していないと思う。

2013年頃はまだ整膚の布教が主だった。整膚の仕組みを医学的に解明した医者がいて、その人の専門的な文献を一生懸命読んでるらしい。お医者様って「あんなにスラスラと本を書けるものなのね」。「あんなにスラスラと文章が」(お前には無理だけど)。
それが徐々に自分自身の布教にシフトしてきた。この前ボランティアでアメリカまで行ってきただの旅行でどこそこに行ってきただの、自慢話が止まらない。それがオバサンの世界なのだろうか。僕は派遣で働いていて苦労をしていないから職業で見下されている。自慢話をしても許される相手となったのだろう。1年半前にも聞かされた話だが、娘はブラックに勤めて、かなり仕込まれたらしい。その仕込まれた高いスキルを買われて今は 三 井 造 船 に事務で入ったらしい。それだけスキルが高いの。このお寺でも短い間だけどバイトした事があるのよ。す っ ご い 厳しかったみたいで、背筋もピンと伸びているのよ。管長様にも認めて頂いてるの。ブラックに3年務める以前は保育士を8年間やったけど、娘は 完 璧 主 義 (かんっぺき)で仕事があると徹夜でもやっているくらいだから、体調を壊してしまったの。ピ ア ノ を や っ て い た か ら 完璧主義なのかなぁ (←関係ないだろう)。保育って割り切れない仕事なのよ。だから合わなかったのかしらね、保育士は辞めてしまって、「ピアノとエレクトーンが無駄になっちゃったの」。←念を押してきた。そこで僕が「音楽は好きじゃないんだ」と言ったら「ショパンは昔、弾いていたのよ。ショパン。」 「僕はドビュッシー派」だと反応したら「技巧派の」と知ったかしてきた。ドビュッシーは技巧派なのだろうか???。ショパンなら技巧派と言ってピタっとくるけど、「ドビュッシーはJaponismの影響を受けているから曖昧で抽象的で、技巧派ではない」と答えたら、「いやだから、繊細な、という意味の」と言ってきた。は?。フランツ・リストには超絶 技巧 練習曲があるけど。どういう意味のなんだろうか。ピアノとかエレクトーンとかショパンとか言いながら、音楽のことなど何も知らない。というより何においても中身を知らない。中身が空洞。娘は保育士をやっていたからピアノを弾けるのよ。ブラックに三年勤めて事務の専門的なことはすごくわかるの。すっごく必死に就活して今は残業したら駄目な会社なの。三井造船で周りに恵まれていて最近 全 然 ピアノ弾いてないの。ピアノとエレクトーンが無駄になっちゃったの。語尾に「だからすごい」が付いている。
キリスト教に「あなたは花の名前は知っているけど、花を知らない。」という言葉があるけど、この人はそんな簡単な言葉の意味も理解できないかもしれない。ショパンが弾けるのよ。ではショパンの音楽とは一体なにか。ショパンの心臓を埋められている祖国ポーランドのワルシャワの教会から、それを破壊して奪ったヒトラーのほうがショパンをわかっている。わかっているから恐れたんだろう。内容の分からない人は、それを軽んじる。虚栄心やコケットリーの材料でしかない。

2016.10
「私は使命感を持ってこの仕事をしているの」というオーラをプンプンに漂わせている人になんか喰らったせいで鬱っぽくなった。自己満足の使命感を 他 人 に 向けられている。だから喰らう。その人は娘が自分にたいして「劣等感があったのかなぁ」と判断していた。ありえない。そういう種類の使命感に燃えているから、そう思い込み易いんだろう。そういう種類の使命感に勝手に燃えてるのはいいが、他人に向けないでほしい。

2019
私最近志學館にボランティアで行ってるの。頼まれて。あそこってレスリングが有名じゃないですか。伊調馨とか、○○○○さんとか。私、伊調馨にこの前整膚したの。志學館のトレーニングってすごいのよ。私には真似出来ない!。筋肉の質も違うのよ(私にはわかるの)。跳躍って瞬発力がいるでしょ?すっごい跳躍をするから筋肉も柔らかいの(あなたはそんなことないけどね)。はじめは伊調馨を整膚して、次は○○○さんと、○○○○さん。○○○さんって知ってる?その人もメダリストなんだけどね。このことは誰にも言ったらいけなかったんだけどねブフッ
と、もったいぶって自慢してきた。もったいぶりすぎて話が支離滅裂で右目はあっちに左目はこっちに視野が向いている具合だった。エキストラで出演をして「話し方が芸能人」になった同級生も、「エキストラなのに」と笑われている。ならばそんな経緯はないほうがよいのかもしれない。自慢の出し方、婉曲的な言葉の段取りを、自慢した相手は見ている。人に言い聞かせたい内容にその人が出てくる。その経歴で友達三人は失ってるだろうけど友達まだいるのかな。自慢をぶつける対象がもう残っていないからちょうどタイミングよく噴出したのかもしれない。その対象を求めているからご仏縁等でつながれるという側面もあったのだろうナァ。俺は何のための役回りだろう。お釈迦さまの教えに『最悪な人格をした人との邂逅は自分を最大限に成長させる』というのがあるけどお薬師様の意向がそれなら仕方がない。

【職業の差別】
2013年頃、僕は電車でお寺まで行って帰りは駅まで歩いてて、整膚のドローレス教授に「今日も駅まで歩きですか?」と聞かれ、「歩きです。環境に優しいから。車は環境に悪いから」と言ったらその人は 「は !?」 と機転を効かせていた。 ナ ニ を 言 っ て み え る の ?? !。 派 遣 で お 金 が な い か ら 車に乗れないことを、そのような環境問題という理由にシフトして自尊心を傷つけずにしているのね!。そんな目付きだった。年寄りの下賤系に有りがちな人間観。ジェネレーションギャップを疑えない。(でもそれは仕方ない事なのかもしれない。信者の方に言っても『お寺の教えを守っているのね』と判断された。{{それどころかアナタの発想ではなくお寺の教えねといった形式で納得したり、万が一オマエがそう思っていたとしても其れはオマエではなく佛のおかげナノダヨ゛と念を押してくる人もいる}}。環境保護にたいする意識は世代によっては本当に意味不明な事だろう。でもHONDAのマーケティング調査では今の十代はバイクに「かっこいい」「便利」の次ぐらいに「環境性能」を求めてる事が判明してる)。
他者が共感できない高邁なことを述べればなにか裏がある。‥そう自尊心を傷つけないよう無意識に理由を探りながらその人は生きているのだろう(そして「車を買えない言い訳」など探り当てた内容を疑えない。自分のそんな洞察力に満足したり、それを即座に見抜けて「機転が利いている」とか思っている)。そういう人は他人の失敗談が特に好きそうだ。

【差別観の成り立ちについて】
整膚のドローレス教授の場合、馬鹿でもわかるような正論ばかり吐いて人の上に立とうとしてくる。すぐにマウンティングをしたがる。話をすれば、優れているのか劣っているのかという観点で質問をする(発想がそういう仕組み)。それ以外のこと(中身)に興味がない。その人の中で自分が 既 に 勝 っ て い る ときは、たびたび、妙にもったいぶった口調になる。「この前だれがしに感謝をされたの」。そして自分の常識から逸脱したものにたいしては"この人おかしい人なのかしら"という条件反射をしてみせる。その常識の範囲が狭い。どの言葉にも独創性が見当たらない。好き嫌いで偏向報道をする。なにか伝えられているだろう。管長様のご仏説にも出てきたから。
統一教会の信者のように1から100までステレオタイプなことばかり言って(統一教会の場合は恐怖政治でそうなってるのだけど)マジョリティーに身を置いている。自己肯定が背後にある宗教観・常識觀・使命感と表裏一体なのは他者否定。他者否定を強烈にしたものが差別。差別をする人は、裏を返せば自己肯定の度合いが強烈。宗教団体は褒めるところが多い。自己愛が強い人は褒められるほどに依存してしまう。そして自己肯定の宗教観を宿すようになる。「その宗教団体では私は認められているの」。愛語のある場所には差別もある。

要約すると ── 差別の裏には強烈な自己肯定がある ──。

反面教師にしよう。自己を肯定するための倫理を形成してはならない。









一畑山薬師寺



10-28












ガスライティングの一例
器用に置いてある


「このみくじにあう人は 喜びにあう運であるが 身に慢心あれば思うことたがいて禍がおこる 謙虚にして誠を尽すれば 目上の人の引立により思わない幸せが訪れる 神仏を信じ心正しいこと肝要」
身に慢心があったのかなぁ。音響係の僕はそのとき音響の現場から離れていた。帰ってくるとその人物は舞台設営の担当ではないのに、瘴気を放ってなにやらそそくさと舞台設営のお手伝いをしている。嫌な感じするなぁ・・・と思ったらコレ。

わかるかな?コレ

うまくいけば 大 問 題 発 生
音響担当をつるし上げることができる。

また別の日、別の音響奉仕者は、その人物のそそくさとした行動を見て、「◎◎様は舞台係ではないのに……!」と言っていた。

サイコパスの特徴のひとつに、「苦い食べ物を好む」というのある。たとえばコーヒーはブラックでしか飲まない等。
この特徴を有する人は、「他者がネガティブな経験をすることに肯定的」とのこと。

法の抜け道にモラハラとガスライティングは使える。お代官様の信用は厚いので、それに勘づいて言及する者のほうが悪者にされる。お代官様はいつも簡単に事が運ぶので愉快で仕方がない。だから宗教はやめられない。『他人を支配したがる人たち:身近にいる「マニピュレーター」の脅威』(ジョージ・サイモン 他1名)にもマニピュレーターが宗教団体に入り浸るのは自然の流れと書いてある。




通ってるお寺のレリハラ(宗教的ハラスメント)の実例集。モラハラ体験談
自分の通っているお寺は臨済宗妙心寺派という伝統仏教。地元では有名な大きい仏閣。そこの本堂は良いパワーがある感じで霊格も高い。だからこそ、統一教会とか創価学会その他新興宗教よりも異常なレリハラ体験ができる。なぜなら、それら新興宗教とか自己啓発セミナーとか霊能者グループはどこもかしこも霊気がおかしいが、その分信者は馬鹿になってるから。どうみても犯罪になることをし、倫理的に誰が見てもズレた発言をする。霊性がおかしい分20年もすれば精神科へアデューなのでどうでもよい。でも伝統的な神社仏閣は一般的には霊性が清くてパワーがある、ということはモラハラ加害者はどんなことをしても奉仕をすれば罪は晴らされプラーナは整えられいつまでも健康で愉快に生きられるということ。そして頭が良いままなのでモラハラ・レリハラの段取りや手法は、それが生業となればどんどん深まる。被害者は延々とプラーナ(霊性)を傷つけられるので他の人の数倍はお経を唱えたり祝詞を唱えたり筋トレをしたりヨガやストレッチをしたり参拝時間を長くしなくてはならなくなる。時間を一番大切にしている人であっても。どんな人格をしていても「御子であることには変わりない」という神仏の度量の深さはダークトライアドの人でも侍ってさえいれば許されるということ。「あくどい人とのご縁は自身を成長させる」というお釈迦様の教えがあるのでそのダークトライアドという心理学的には「最も悪い・最も危険」と定義される人格が相手でも被害者は「見ざる言わざる聞かざる」を求められる。病気になっても。それがあなたには可能か?無理だというのなら読んで満足して下さい。可能だと宣えるのなら読まずに被害者になってあげてください。
音響の奉仕の時、そのレリハラのお代官様(以下A様)は後ろからじっと窺っていて、音量が大きいだの小さいだの指摘してきた。ボリューム1程度の高低を行き来する。仏様にご奉納するものだからという大義名分を利用して圧力をかけてくる。その人の成長を想ってという目つきではない。沈痛な思いで反省をしていないと、後でなにか言われている。(その大義名分も反省会で誘導されて出来上がっているものかもしれない。内容的にモラハラの支配欲と結合している。たとえば「お薬師様は100%、人間には 先 祖 の 因 縁 があって今があると言っていた」という言葉は同調圧力に使われる。相手が自分たちの宗教に同調してこない場合、その苛立ちから「100%! 」と叫ぶ。「だからあなたは独身なんですよ」。{ 不幸の理由を探すのも人間の性で、そういう研究結果もある。学生に授業で、拷問で鞭打ちされたり爪を剥がされたりして叫んでいる人の映像を見せると、ほとんどの学生は「その人がなにか悪いことをしたから」といった恣意的な解釈を付け加えるようだ。その人が無条件に苦しんでいるなどとは思いたくない。なにか罪がなくてはならない。相手が信仰対象の場合のみは無実の罪で磔(はりつけ)にされていても「神の子だから人類の罪を...」と恍惚としている。また、歳を重ねると自分が一番苦労をしてきたという前提を壊されたくなくなる。それで、納得のしやすい方にもっていく。あの人には 先 祖 の 因 縁 が あ っ た か ら ! }。キリスト教では輪廻転生を認めないから「原罪」だと言うが、「先祖の因縁」とか「前世の罪」だと言う人と意識の構造は通底してる。でも仮に「この世で修行をするためにその不幸の境涯に生まれた」というケースが存在するとしたら 100%ではなくなる。前世に罪があるから、修行をするために先祖の負の因縁の根深いその家庭を選んで産まれてきた、とすれば成り立つが、信者はそうは言ってない。それは後付けの理由になる。仏様は100%なんて限定してないと思うけど、信者は心の根底で願望と一致していると、なぜかその理由が全てとなり、100%お前はこうナノダヨと言い始める。都合のいい教えだけはよく覚えている。言われた側は「そういう発想しかできないのかな」と思っているか、ノイローゼ気味になっている)。

詩吟の舞台設営時、お代官のA様は強引にマイクテストを行いマイクの音が小さいだとか文句ありそうに妨害してきた。そのマイクテスト時、A様の口はマイクから15cmほど離れていた。音響係のI様は「A様はマイクテストはやったらいけないのに!」と言っていた (経験上、なにか危機感を抱いてる。でも自分の勘ぐりを上層部に伝えようものなら『同志討ちをしてはいけない』『口から蛇が出ている』とか言われる。だから避けるしかない。敵意を持たれると最後、上層部のH様とお代官のA様に後日反省会の時に追い込まれる)。その直後、マイクスタンドの高さに変化があった。僕が詩吟の代表の方と話して目を離している隙に、高さが変えられていた (直前に出演者の口の高さに設定してミキサーの音量も適切にしてあったのに、一番下に下げられていた。→どんなに背が低くても声が通らない→ほれみたことか) (僕の場合、根回しされていて何を主張しても無職フリーターの笑える被害妄想と為せるし、それに乗じて精神を追い込む事※が出来るので、明らかに犯人がA様だと分かるのにそういうことをされる。こちらがモラハラやガスライティングに勘づいているから、抑制をしない。※周りの信用を無くし孤立させ被害妄想で狂わせて滅ぼす→笑いが止まらない)(「お寺に穢れがかかる」。モラハラや道徳的スタンドプレーで人を傷つけてもお寺には穢れがかからないのだろうか?)。マイクの音が小さかったとしても1dBか2dB程度。その1dBか2dBの音量バランスの悪さについては以後気を付けないといけない。でもそのようにあら探しをして全体的には問題なくうまくいっているものを大々的に問題視して、まるでその日奉仕をする価値が無かった(あんな心掛けでやっていて徳積みになっていない)かのようにもっていかれるのは不愉快ですね。

一畑山薬師寺 英会話教室の発表前、舞台から転倒しそうな位置と角度でマイクスタンドが置いてあった (ミキサーとかが置いてある机に向かって倒れる設定。隠れて見えにくい足が舞台ギリギリに置かれている。反対サイドのマイクスタンドはスピーカーより内側に置いてあった)(マイクはガスライティングを仕込みやすい。昨年もレリハラ大魔王のA様がマイクの頭を下向きにしてマイクスタンドにセットする際、ユルユルに、落下しやすいようにセットしているのを確認している。一度でもそういう事をやる人は死ぬまでやっている。朝の打ち合わせ後、すぐにそそくさ御詠歌室を出ていったから怪しい)。

マイクスタンドの首が出演者の演奏中に折れてしまったとか、奉仕で怪我人が出てしまったなど、なにか 大 問 題 が発生したとき、誰がその現場にいたのか、前日の準備に誰がいたか。統計を取ればあぶり出されると思う。片方は加害者、片方は被害に遭いやすい者。

またある日、朝のミーティング後なにやらそのお代官様は勢い良く「お食事券を取りに行きましょう!」みたいなことを言ってみんなを率いていた。明るくて勢いあって雰囲気いいなぁ。その後、出演者のCDやテープが見つからずドタバタ。目のつかないところに置いてあった。音響係の誰も触っていないとのこと。では誰が持っていたのか。圧力をかけたりドタバタさせれば自動的に大問題は発生する。動物の虐待は一度覚えたらやめられなくなるらしいが、相手が動物ではなく人間ともなると、死んでもやめられないだろう。

会社のロッカーから札を引き抜いていた社員と共通項がある。左右の目の距離がやたら近いことやタゲを見つけたときの興奮の仕方、どこか幼稚な風貌。その社員は怖い部長の財布からも引き抜いていた。金額的には1万円だからお金が目的というよりは麻薬的な興奮で行っているのだろう。どんどんエスカレートし技術が高度化する。

剣舞の演者の方が突然意識を失って倒れた。『千の風』を踊った方。レリハラ大臣のA様は門弟先生に説明する時「すっごい踊りでしたよ!」と大声でその倒れた方をアプローズをしていた。一生懸命やりすぎて急に安心して倒れました、自分には原因はないですよ。その後、いつものように意向がシフトして(サイコパスは人の感情が希薄な分、電車を乗り換えるかのごとく頭を切り換えられる)、反省会の時には僕の隣で「今日はなにか寒気がする」と言っていた。それがひっかかった。日が経つと、かならず誰か(貶めたい者)に因縁があるかのように拵えて(こしらえて)くる。僕が帰った後はみんなに「今日は寒気がする」等と遠回しに伝えていたと思う (予測の誘導)。「先週は寒気がしてたから」。H様に伝えられる頃にはストーリーが完成している。
誰のご縁があるときに最も人が倒れたり不幸になるのか、というデータをとるのは難しいから、そういう「吹き込み」はひとり歩きしてゆく。宗教の信者はオカルトビリーバーだからそういう話が (自分が標的でなければ) 面白くて仕方ない。だから疑えない。自分がタゲられて初めて疑えるようになる (だからタゲる人間も人生には必要なのかもしれないが) (人は離れるが)。編集型の嘘を見抜けるような人はあまりいない。
コーラスの係の人が倒れたのもひっかかる。舞踊部部長のA様がコーラスとの合同練習の時「舞踊部は人が多過ぎてすみません!」と言った。それにたいしコーラスの係の人は「コーラスは人が少なくてすみません!」ときり返していたけど、少し心配になった。その後、入院。あの人のことを見抜いてしまったらいけない。その瞬間から攻撃対象に切り替わる。人の不幸を喜ぶ人は攻撃力も防御力も高くて長生きする。反対に人の幸福を喜ぶ人は防御力がない。

ハッピーかいで外宮様の掃除をしているとき、みんなで集まっていると僕の背後で急に「いたーい!!」と叫んだ人がいた。なにかと思ったらモラハラ兼レリハラ役のA様が木のクズを踏んで足に刺さったらしい。
僕の周りではなにかが起こるようだ。長机を片付ける時、A様と一緒に運んでいるO様が僕の前で机を落としそうになった。そのあと「今なにか気持ち悪かったね」とボソッと伝えた。秋の文化祭の剣舞の倒れた方との繋がりがあるのかもしれない。あの人がいるときに なにかがあるよね、と。霊感商法もいいところだろう。神仏や現象を騙ることは罪にはならないのだろうか。あそこでは。

2017/12/23 少年部の書道大会にて。
来年(2018)は僕は節分の鬼役に出れないけど、それに関して圧力をかけてきた。なにか意識が遠くなるなぁ、と思っていたらそのモラハラのダークトライアドのA様が目の前にいて、節分に誘われた。「出られない」と断っていたら「鬼役は青年会の役割だけど」と圧力をかけてきて、「(自分には同志会の権限はあるので) 同志会で名前出しておくからね」と強引なやり口となった。こちらが断っても引き下がらなかった。その時の霊障がかなり強かった。人を滅ぼす霊気をしている。十年前に同志会のイベントに入れられた時もそのやり口と霊性だった。お寺では「やり手」だと評価されていたが、感知する能力が足りてないんだろう。もう信用していない。書道大会は蛯くんも来たし楽しく手伝いが出来たけれどそれで台無し。同調圧力をかけられたらもうボランティアではなくなる。蛯くんに「今日は疲れた?」と聞かれたから「A様に勧誘受けて疲れた」と冗談めかして答えたら「やっぱり合わないんだ」と笑っていた。節分祭はてんやわんやになるだろうな。失敗して大事(おおごと)にさせるために色んな段取りをこしらえてくると思う。または欠席であることに尾ひれ(オカルト的な理由)をつけて大々的に流布すると思う。



警視庁によると児童虐待を通告された件数で心理的虐待の構成比は70%を超える。でも検挙されたのは肉体的虐待が7%なのにたいし、心理的虐待は0.6%。肉体的虐待は証拠が残るけど、精神的なものは都合が悪ければ「思い込み」。加害者はもっともらしい事を言ってればよい。
相手を追い込めば勝手に自滅してくれるパターンも多い。タゲが病気じみてくるので「被害妄想」にする事ができる。大問題が起きたときの大興奮は、義憤のように振る舞えばよい。



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