〔デジカメご朱印帳〕



OLYMPUS E-300




鎌倉めぐり




JR石川町駅











いいペイント










遊行寺
藤沢駅から歩いて15分ほど









遊行寺は高校生が走っているし門下の人たちは威圧感あるし別種の魅力があった
人生で新しい感覚というのではないけれど他の寺では味わえない男臭さ
寺務所ではおばさんが腰低く神気に満ちていた
気という漢字はよく使うけど物理学的な定義は不可能だ
神気、色気、むら気、
多用するか否かを統計してみれば感覚的だとか理系的だとか性格に関連が見いだせるかな
あの寺務所の人はすごく丁寧だった
散華(さんか)を4枚ほどいただいた







一遍上人
浄土宗の宗祖:一遍上人
遊行して、みんなに阿弥陀仏のお札を渡してまわった方
正面からではわからないけど、
腰の角度がいいと思った











せっかく来たからとあまりに急いで一生懸命に手を合わせるのはよくない
まずよい波動じゃないといけない
一遍だけ南無阿弥陀仏と唱えればいいと思った
なんか、予定を緻密にしすぎていっぱいいっぱいになってたので反省
鎌倉へむかう











鎌倉電鉄の江ノ島駅からすぐにある龍口寺










日蓮宗の宗祖:日蓮
この銅像をみれば、優しい人だとわかる









勝てば官軍 負ければ賊軍という
でも聖人は譲歩しても聖人であることには変わりない
俗人は支持を得ても俗人であることには変わりはない
Mensaは負けてもMensaであることには変わりない
Ahoは勝ってもAhoであることに変わりはない











江ノ島電鉄の線路











江島へ向かう











反対を向けばあの日加藤と来た湘南の風景











富士山は雄大だなぁ













ズームするとテレ端が暗い、とかなんとか言ってる場合ではない













雲も透き通っていた
液晶が白飛びしやすいので、ちょっと露出アンダー気味になった












江島神社へ向かう












登りつめて振り返ると、
お金持ちのおばちゃま方が多かった













鳥居












何があそこにある











弁天様










わだつみのみや
弁財天黄金浄水
これで小銭を洗うとよいらしい









亀がいた
まったく動かない
外人が写真を熱心に撮ってて初めて気づいた
びっくり









岩になりきってるようだ
自分では気づかなかったわりに、見つけると
「甲羅とその周辺だけは水に濡れてるよ」
と教えたくなる











ふろしき風の賽銭箱
本宮の御祭神は、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)











七福茶というものがある
松葉というのはすごいようだ
脳梗塞の人のサイトにあった


弁財天の御札かっこよかった
白龍に彩り包まれている











江ノ島電鉄へ











極楽寺駅










極楽寺の入り口はちょうど工事中
裏口から入り、ご朱印帳に筆書きしてもらい、中に入れる
極楽寺なので撮影は禁止なのかな
ふわふわ明るかった
たしかに極楽の世界だった









成就院にのぼり
み渡す湘南の海









御霊神社
踏み切りのむこうにあるってシチュエーション











あっという間に鎌倉大仏











与謝野晶子歌碑

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
美男におはす 夏木立かな

面白いねぇ









すばしっこくて撮れない
リスが一匹














もうあんなところにいる














測光マルチができないので、極端だ。特に逆光は難しい。
長谷寺





















ここの十一面観音は壮観でした。
現代的ともいえるアンティーク。
黄金に光り輝いてました。


修羅界も担当する十一面観音。
その法力はすごい。
歓喜天などの天部の怒り鎮めるのにも祈祷で使われたりするらしい。











三椏











長谷寺よりみ渡す湘南の海













建長寺の坐禅会へ来た
建長寺行きの最終バスは出てしまったようで、急いで歩いてきた
間に合ってよかった
これがメイン










明日はPSE法により投げ出されたアンティックプリメインを発掘しに秋葉原へ予定だったけど
まぁマニアが求める品のいいやつはとっくに売れているだろう、と考えて鎌倉に変更
道草しすぎて瑞泉寺も巡れなかったので。





ひさびさの坐禅よかった
たった1時間ほどの充実した時間
家では怠けるしまずやらないもんだし、
どうせやるなら坐禅会でやるほうがいい




休憩の時間には、「坐禅をすると、結構長くて、べつに逃げ出してもいいわけで、
ちょっと姿勢を崩そうかな、とか、やめてしまおうかな、とよそ事を考え出すのだけど、
その反応が自分自身です。」 と話された。

苦しくて自分が何を思うか。楽して逃げるか。
それが自分自身なのだと自分を見ることはなかなか普段は思いつかないなぁ
追い詰められたとき、切羽詰ったときにこそ自分の本当の姿が知れる
理想論ぐらいは電車の中で居場所を間違えている酔っ払いでも説くことができる






つづいてね