2011年10月12日のおみくじ 同性愛の生き方


日泰寺 愛知県

日泰寺=にったいじ・・・日本とタイのお寺です。友好関係を保ちたい。
覚王山日泰寺にて




パラフィリア;性的倒錯
同性愛は「先天性の精神障害」だという人がいるけれどその多くは精神障害(器質性の障害)ではない。胎内のテストステロンの分泌量に基づき決定された性指向障害を先天性だと言えば先天性だが。たかが同性を好きだというだけの話であるのに人間に瑕疵があるって、何を根拠にしているのであろう。たしかに「適応障害」のない同性愛者は珍しい。人生で最も旺盛な10代に最悪の孤独に苦しみ、事実は受け入れがたく、たとえカムアウトしても嘲笑めいた仕打ちを受けるのだから「心的外傷」を負いやすいとの事実はある。「同性愛」である事が差別にならない事はない。差別をしない人は皆無である。見受けられるとすれば差別をしまいとした善良さである。同性愛に産まれても良いことはなかった。結婚しなくても済む事は幸せであるといえば良い事だが。人生で最も幸福だとされる結婚の幸せに共感することもないのだから、未婚に不幸は感じない。異性と同居しなくても良いと割り切る事は、子供時代から恐怖を覚えていた結婚生活という地獄からの解放のように幸福なことである。ただし子供は作れない。どんなに欲しくても好きな人との子供は作れない。生涯孤独。この孤独な人生を馬鹿にした人は来世ではその対象相応の人生を送ってみればよい。勉強になるから。
十代の苦悩は常人の想像を絶する。常時それは自身に付き纏う呪われた現実だから。事実、自殺念慮率は明らかになっているだけで3倍。…悩み事が「一時的」な人が羨ましい。それを乗り越えて、次の挫折を乗り越えて、世間では「一人前」となっている。同性愛の場合は死して乗り越える。そういう次元になってくる。抑圧した感情や秘密を墓場まで持って行かねばならない。性的願望のあるうちは性欲の強さに比例して苦しみ、ゲボを吐き、性的願望のなくなる頃には容姿も醜くなっている。人間に興味もたれなくなるし自分も人間に興味が湧かない。そろそろ普通にコミュニケーションが取れると思っても遅く、対人的に対等の立場で気さくに話すことは困難。ストレスをためる。よって循環器系や免疫系に異常を来しやすく病気になりやすい。腰痛や胃潰瘍(胃とか腰は抑圧した怒りの影響を受けやすいと言われる)にもなりやすい。同性愛は、普通に生きるだけでも霊障を負いやすく健康は回復しにくく、常に疲れきっている。これだけエタヒニン(村社会の必要悪)の役割を果たしてきているのだから障害者年金(対価)を受け取る事は順当だと思い、実際受け取る人もいる。自分に都合が良いことやっているわけではない。都知事閣下の石原慎太郎も同性愛者は障害者・カタワだと言っているのだから。ジェニュインなものが解せる分良いが世代により差別の形態はまちまちで、僕よりも社会の言動のほうがおかしい事も往々にしてあった。自分はまだ障害者年金は貰っていないがいつか堪忍袋の尾が切れたらそうするつもりである。あらゆるヴィカルマを神と警察に告げる。でもその頃には社会が因果応報で破綻しているかもしれないが。国の神が既にこの国を護りきれなくなっているように。神道・仏道に邁進しているかもしれないが、自殺してるかもしれない。先のことはわからない。
というような事を書いていたのが2011年の夏ぐらいだったかな。あの頃は訴えるような衝動で神社仏閣巡りをしていた。大吉はずっと出ていない状態だった。同性愛者でも僕より悟れる人、友だちや相棒に恵まれてきた人は中村天風の本を読んでね。闇に包まれる前に。パワースポットに行っても何も感じない程度の霊感ではあるが軽妙に人生哲学を語られてる。同性愛のように難しい問題は乗り越えていないだろうけど方向性はよい。自分はこの本を2010年11月に薦められたが読んでおけばよかった。せっかく縁を導かれたのに読まないと意味がない。あの子は最大の「チャンス」だった。ものすごくシンクロニシティーなことばかりが書いてあった。
読書感想文…読むと積極性に目覚める。運命に負けないようになる。実力のある人だと思う。「陽気の発する処金石また透る」という諺もなんでもかんでも「積極的に生きる事」に結びつけてしまうが、さっぱりとしていて簡潔である。僕が思うにはこの諺は素粒子等で考えるほうが真意に通じると思う。気が真っ直ぐで美しく強い場所なら金石の分子も数学的に美しく形成される。分子の並びに歪みなく迷いとかストレスがなく形成されたので金石がS/N比高く透るのだろう。また金石自体にも気が宿るので気が生命的ならば美しく光が反映するだろう。その陽気というのは無明ではなく真理を体現するところから来るもの〔如来〕であるけど。そして生まれたるがままに積極的に生きれば人生も輝くという事でその解釈で良いわけであるけど。
神とか仏の信仰を否定しているけど、悪種の否定では無い。そんなもの「存在するのかしないのかわからない」と思っていて「迷信」だと彼には映るので否定している。否定にも種類があり、悪趣のものは「自分は賢いから無神論なのである」「自分は子供の頃からそういうものを論理的におかしいことが解っていた」だとか高慢を来している。そのうらはら、その人格では人に尊敬されてないからルサンチの埋め合わせに宗教信者などの弱者を罵る、という構造。でも想定通りに信者は馬鹿では無いのでやがて科学カルトとなりホロコーストをするようになる。結局は根本的にネガティブなのである。この中村天風という方の場合は、積極性が大事なのだと訴える過程で、迷いの末に神仏にすがる人を連想する思考回路になっている。しかし、否定者にも種類があるが一方で信仰者にも種類がある。御利益信仰から神仏にすがる人や、神仏は崇めるだけで自身は信仰生活をする者がいる。後者の中には淨信(純一無雑の信仰)を持っていたり、修業的信仰もあり、梵我一如でブラフマンから来たるものに通じる人もある。
:ブラフマン;ब्रह्मन् brahman=宇宙の根本原理。宇宙の源。神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透している。それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は1つのブラフマンの現われである。Great indeed are the Gods who have sprung out of Brahman. - Atharva Veda (偉大な事実は、ブラフマンの中から湧き出て来た神々である。 - 『アタルヴァ・ヴェーダ』)
名前:ナナシンクロニシティ 2008/10/22 21:26
独りで生きられる人と独りでは生きられない人と。
女性は離婚後も独りで平気で生きているけど男性は離婚後に自殺する率が高まるらしい。男性はDepend型の性なので独りでは生きられないのが普通。男性は弱い。弱いから虚勢を張っている。また、ネットや漫画やゲームや音楽に生きるのは独りで生きられる人とは必ずしも言えない。なぜなら物事を書くにも創造するにも時間空間の乖離した場所に読者や観衆がいるから。日記すら自己が読者である。その場で終わってない。独りで生きるとは物質的な他者が介在しない状態になければならない。原始の神のように。・・・信じられない事に、この世は己のみの世界ではなかった。自分の思い出が歴史の総てではない。表文化されていない古代にも思い出は確かに存在していた。
独りで生きられる人とは一体なにか。― 植物は無我である。無我になり虫に喰われまた根を張り葉を広げ太陽に生かされるところに独りで得る生命力を見いだすことはできるが、釈迦の解脱に学ぶとより人間的で人間にも可能な範疇の本来の孤独さながらに生きられそうな希望的憶測がつく。愛執を絶ちすべてを絶ち解脱すること。すなはちヴェーダでいう真我とは我が現象そのものとなること。涅槃に行ってしまうこと。すなはちアウラ状態であるそれは霊性としての個性(そこより子孫たちが発生する)となり発生源であり子孫は我が映し身として行き交う。様々な夢と体と行き交い。
孤独な僕は神社へゆく。その時にのみは独りであって独りではない。感応の間には孤独を感じない。人間皆孤独なその状態を自身忘れているからというわけでなくまた非我である神を想定されているからでなく現実に霊性と合わさっているから。神とは自分ではないが古(いにしえ)より神であるその存在は今の現象を楽しむかまたは神としての職分をもつのでそうしてくれる。nousが広がりをみせるほど多くの現象または人に合わさり記憶的ではなく霊性的に感情をともにするのである。強い相互作用があり時空に境界のある高分子には有り得ないが霊性的には可能なこと、すなはち自他がないので独りでも群れでもないwholeになるのである。
同性愛の生き方。あの子に会えなくなり、恋愛以前の状態に戻る。↑は要するに何が言いたいかというと肉体同士は物質的には強く反発するので抱き合う形をとるが霊性(狭義には「気」「プラーナ」「クオリア」「空性」)同士なら肉体的な姿勢に関係ないという事。通過するし。物体はここから発生している。理想を言えば〈男+女+子供+神仏〉で円満だけど独り身でも神仏とは共存することができる。この頃は現実がつまらないし霊性以外のことは見えていなかった。「つまらなく見える、宗教に入るように見える」と言われる生徒の気持ちがわかる。自分は同性愛が原因でつまらない。もしかしたらその生徒もそうかもね。自分はもう遅いがもし高校時代に同性愛が直っていればリア充の人生になっていた。学歴も中途半端ではなかったろう。もっといいところに働いてる。「宗教に入るように見える」とは言い得て妙なり。同性愛として半欠けで生きていると、欠落部を求めるようになる。そうこうしているうちに気づくのだろう。霊媒体質の自分は普通の人より多くの割合で外部の霊性の作用で人生観なり細胞の形質なりが象られているので霊気の躍動vitaがなければその分空虗になる。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。宗教は音響ではなく音樂である。自分はオーディオマニアゆゑ音響も音響工学も好きだが、音樂が抜けるとつまらない。
名前:名前欄空白 2011/03/26 01:29
般若心經の中の菩提薩垂 依般若波羅蜜多故 心無罫礙 無罫礙故 無有恐怖の部分がわかる。
般若波羅蜜多に帰依すれば、あの子に依存しなくてもいいんだ。
一人でも生きていける。般若心經と祝詞さえ唱えていれば一人ではない気分になる。
般若に包まれているのか。究めれば同性愛者の超克にも使えるかもしれない。
―☆―☆―[普通の生き方をしていても到達できない地点がある]―☆―☆―

胎宮」「胎生」=「心地よさ、自分の思い通りになる世界に在ることをよしとして、外が見えない、常に仏法を見聞することを得ない在り方」
よく「インドは50℃を超えるほど暑いが日本みたいに湿度は高くないので日陰に入れば涼しい」とか言われるがどれほど涼しいのかは恣意的なものである。現実を知らない限り。…少なくとも東南アジアは日本より暑かった。湿度も大差ない。空気が澄んでいるからベトつかないだけである。(日本の空気のベトつきについてはバイクに10分乗ればわかる)
人は都合のよい発想をする。誰かが苦しめられている映像を見れば「この人は何か悪いことをしたから罰でこういう事をされている」と言うらしい。心理学の統計。十字架の人間を悪い者とする。…そのようにして自我を防衛する習性があるのも結局は自分がかわいい からである。他人は無条件に苦しんでいないことにすれば自分は楽をする事ができる。
日陰に入ればエアコンが効いているかのように涼しいわけではない。それが現実である。そんな灼熱地獄みたいな世界にインド人は生きている ←という事実は受け入れ難い。いつまでも胎宮・胎生をしていたい。


 

これ読んで不愉快になられた方の逃げ道

絶食系男子の日常

同性愛者の自殺念慮率は三倍。知能自身が一番 知能相応の地位や立場を築かれていないことを知っている。