《´・w・》<がぉー






Cristo



Olympus C40z


「こんにちは。キリストです。私はどこから来たのかを知っている。」



「わたしは天から降ってきたパンである。」






7590
Kodak DX7590


「救いを求める人はその救いによって救われる。」







DX7590


「あなたがたの信じているとおりになるように」





 




FUJI Finepix 4700z ⇔ Finepix F710










FUJI Finepix F601


「私は別に精神病ではないよ。」









DiMAGE X60








マウス⇒F710の画像
Finepix F601


「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」







SANYO DSC-AZ1


「神を愛し、隣人を愛しなさい。」









では。
OLYMPUS E-300

いいな
一眼が一番深い画質していてキリスト冥利に尽きますな

おっと、そんな煩悩、物欲、捨てなさい
現代は危ない時代である












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諸国民は、おのれの意に反してのみ偉人をもつのであり、この点で家族とおなじだ。諸国民は偉人をもつまいとして、あらゆる努力をする。だから、偉人は、存在するために、何百万の人間によって加えられる抵抗の力より、さらに大きい攻撃力を所有する必要がある。  シャルルボードレール『火箭』
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キリストは神が懸っていたから抵抗された。無宗教の人は神が実在したら都合がわるい。ある種の宗教の信者は教祖様以外にそんな人間がいたら目頭が立つ。「巷にもそういう人、いるでしょ?」 私たちは教えを受けているから、そんな霊能者みたいな輩の(略 となる。


【付録】
批評について

 子供の勉強は、復習だけをした方が良いらしい。予習をすると授業を聞かなくなるとの統計がある。建築とか美術は、その解説はあったほうが認識が深まるけれど、その空間をじっくりと感じられなくなる弊害もある。知識が先に来てしまい。旅行誌なども、あとで読んだ方が良いのかもしれない。ただ人と接するときはその人の名前や役職は知っておく必要はあるし、~社にお参りするときは御祭神の名前くらいは覚えておきたい。ケースバイケース。
 一方で、予習せず純粋な観念で空間を感じた者があとからブログレベルの批評を読むと、その建造物よりも深くない思索が害悪となって次元を引き戻される感覚を抱く事がある。感じ方の弱い輩ほど物事を科学する側に回ろうとする傾向があるので要注意。それも才能や人格傾向の問題かもしれないけど。うんちくが流行ると創作する側も、あんな本格ぶったものが世間には称賛されるのならと、と本格さを醸す。いらない付加価値も増えてゆく。支えてきた愛好家は、いなくなるか回顧録を読み始める。批評が栄えるとその文化は滅ぶかもしれない。
 観点は飛ぶけど最近のプロ野球はトレードとか買収とか監督の人選とかそういう裏方での話題が目立ち過ぎたせいでなんか夢とかドラマを感じなくなった。アニメのように、作成過程とか裏方でのうんちくをあまり見せない文化は栄える。東京ディズニーランドはその典型。

 ――古き大洋よ、おまえの水はにがい。それはまちがいなく、批評が美術に、学問に、そしてあらゆるものにたらす胆汁と、まったくおなじ味がする。批評は、もしだれかが才能をもっていれば彼を白痴にしてしまい、もしだれかが美しい肉体をもっていれば、それを醜いものにしてしまう。そんな批評をするのなら、人間の四分の三は自分に咎のある不完全さを、強制的に感じさせられていないと、困るじゃないか、まったく! ぼくはおまえに頭がさがる、古き大洋よ!――
 純粋なものをいかにして保存するか。批評に破壊されてしまわないようにする方法は。言葉にすると消えてしまう淡いものを壊さないでおく方法はないんだろうか。人間の自我の膨張に針をさしても空気に汚れた意識が充満する。

 Wolfという作曲家は、その才能に魅了されたFranz Lisztに管弦楽の作曲を勧められた。でも『ペンテジレア』の試演を指揮者リヒターに頼んだのだけど楽員からはせせら笑いが起こる…。リヒターは「彼らに最後まで演奏させたくなかった」とまでいった。それはワーグナーに心酔しているWolfが新聞の批評でブラームスを酷評していたからだ。ブラームス派であるリヒターの心証を害していたからそうなってしまった。ペンテジレアのような名曲を作曲しつつも彼はリストからR.シュトラウスまでの交響詩過渡期に大成しなかった。二度と管弦楽を作ろうとしなかったから。言葉は諸刃だ気を付けよう。
 妥協が許されないだとか、監督基準でまだ実力が伴っていないとか、我慢ならないのならともかく、とにかく否定的な意見なら言わない方が賢いのかも。五十歩百歩のプライドから否定的な意見を述べるのは自分が思っているのの20倍は損だ。建設的な論理に基づいているのなら理解を得られるが、批判の相手が個人なら20倍にして返されるし大衆が相手なら20人には返される。 小人はすぐにおごり高ぶる。「”本物”を一度手にしてみるといい。」 サタニズムかぶれの二流品を片手にしながら・・・。次の瞬間には恐怖に襲われている。そんな小人を、一度見てみるといい。
 あなたがあなたの趣味に没頭したいのなら、まず自分が悪い批評をしないこと。善因善果 悪因悪果 自因自果。あらゆるものは相対化して返ってくる。
 動物は本能からでなくも良いものにしか従わない。不快なものは本能からでなくも受け入れない。猿にわざとまずいスイカを食べさせると二度と食べられなくなるという脳医学の実験があった。おいしいイメージが崩壊してしまうようだ。脳細胞レベルで。
 この文章のせいで気分害した人はすいません。これを機にトラマナ覚えてください。



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