Konica-Minolta DiMAGE A1



映画の予告みたいなMinolta A1の広告画像

 手に持った瞬間DiMAGE5のころの愛着を思い出した。あの有機的な手のなじみのよさはミノルタならでは。特に左の手でズームを操作できるのがいい。ミノルタはアナログ側の技術が活かせてないのか単純にデジタル側がまだまだ発展途上なのか、中身的には微妙なところが多いが、カメラ使っている感じはピカイチ。コンデジのXシリーズでも操作性が本当に熟考されている。カメラへの愛情が感じられる。






A1とα303si
ピアノ上の旋律







右はα303siというモデル
家の15年ぐらい使ってるフイルム一眼






A1のほうが幅が狭くてよい。A1はα303SIの左の1/3がない。
ボタンは多いが緻密に配置されている。


サンプル1
サンプル2
サンプル3
Movie
gaNeza
PsY Malachite
Hanuman
Paka


 絵作りが主観的で幻想的で、デジタルらしからず優しく、ミノルタの世界に引き込まれる色彩。ファインピクスのキャッチーなほがらかさやオリンパスのメリハリやキヤノンのポートレイト画質とは違い、普通より地味な色調。ほっと一息つける。この落ち着き具合、アディクトしない加減は工業製品には得がたい魅力。近代的に透明な色とはいえないのに透明感がある。近代的に透明なときも、もちろんある。
 本当にいい色というのは、パッと見ただけではわからないもの。崇高なものほど抽象的でわかりづらい。なんかじんわりと懐かしくなったり優しくなったり。反対に、過激な思想ほどわかりやすい形をしている。いまのひとは社会不安によるところか、やたらと定義や根拠を求めて断罪している。実際には単なる防衛規制かもしれないけれど、もし本性によるところとなるとこの先医療機器のような再現性が流行ることだろう。アンプでも音楽再生とギターアンプでは音作りが違う。モニターアンプを使って妙な悦に入ってるような、そういう風潮がある。どうせ半年か一年でそれに疲れてる。科学では天気予報的な森羅万象を追うことができない。意識的なものほど機械ではうまくいかないことが多い。



 tukipie feel DigitalCamera